Aug 25, 2006

吉村昭の最期と秀作「羆嵐」について

作家の吉村昭氏が亡くなったことを,遅ればせながら先ほど知りました.僕は吉村ファンではありませんが,羆嵐(くまあらし)だけは数回読んでしまったほどハマりました.もちろん今でも手元にあります.羆嵐は明治時代の北海道で起こった実話です.本州には生息しない巨大な羆(ヒグマ)が,開拓者の集落を次々と襲うのです.これは日本獣害史上最悪の出来事として伝えられています.残酷なシーンが生々しく,且つ緻密に描写されている辺りはさすがとしか言いようがないのですが,最も注目すべきは,その緻密さによって読者が嫌な気分にならない点だと思います.つまり非常に考え抜かれた言葉遣いで,惨殺シーンが上手く書かれています.

しかしこれだけなら僕は羆嵐にそれほどハマらなかったと思います.夢中になった主な所以は,物語の中盤から後半にかけて登場する一人の年老いた猟師の存在でした.これがもの凄くカッコイイのです.羆との真剣勝負を描いた場面は,僕のような読解力に乏しい人間の頭の中にも映像化されて浮かび上がります.手に汗握るとはまさにこのことを言うのだと改めて実感した次第です.同作品と自分がいま住んでいる道東の環境がリンクしたことも,羆嵐に熱中した理由の一つだと思います.

吉村氏の遺稿となった「死顔」は読むつもりです.たくさんの秀作を残してくださった事に感謝しつつ,他の作品にも手を出してみたいと思います.ご冥福をお祈りします.

【葬送】作家・吉村昭氏 自ら決断「もういいです」

吉村昭さんの最期を妻で作家の津村節子さんが語ったとき、わが耳を疑った。闘病の床にあって、自ら点滴の管などを引き抜き、看護師に「もういいです」と言ったのだという。

津村さんは「自分の死を決めたことは、彼にとっては良かったかもしれません。でも、私は目の前で自決する姿を看取ったのです。あまりに勝手な人だと思います」と泣き崩れた。

羆嵐の話とは違い,吉村氏の最期について.僕が吉村氏なら同じ事を望みます.治る見込みもないのに,ただ苦痛に耐えて横になっているだけ.そんな状態で少しでも長く生きたところで意味はないと思うからです.「これは死にゆく人のワガママであり,残される者にすれば1秒でも長く生きてほしいと思うものである」という意見もあるでしょう.しかしこれもまたワガママです.「死にゆく者のワガママ」と「残される者のワガママ」.どちらのワガママを通すかはその人次第でしょうが,残される者より明らかに先が短く,また明らかに多くの精神的・肉体的苦痛を感じ続けている「死にゆく者のワガママ」を,残される者には静かに受け入れてほしいというのが僕の意見です.それが優しさであり,思いやりの気持ちであると僕は思います.というわけで,吉村氏の最期,そしてそれを受け入れた奥様や病院の方々を僕は尊敬します.


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