一利無き タバコを美化す 愛煙家
されど理由は 煙に巻かれる
タバコは税収の面でもたかがしれており,むしろ喫煙者がいなくなった方が政府の財布は潤うという話もあります.世界的に見て喫煙者の肩身は確実に狭くなっています.しかしJTと喫煙者は自らを,そしてタバコを何とか美化しようと日々努力を続けています.「愛煙家」という言葉も彼らの努力の賜です.「喫煙すると良いことがある.それは普段話さない人と喫煙所で話しができることである」などというJTのCMも,彼らの努力の結晶なのです.
この一方でJTはタバコの危険性も明言しています.「肺ガン,心筋梗塞,脳卒中になる恐れがある」と.だけど販売はやめようとしません.それどころか「さあみなさん吸ってください」とアピールしているのです.喫煙が禁止されている飛行機のイラストがタバコの広告に使われている事もよく分からないのですが,それよりも分からないのはタバコの存在意義です.自分の健康や命を削ってまで,普段話さない人と喫煙所で話をする価値がありますか?喫煙者独特の体臭や口臭で周囲に迷惑を与えても,タバコで自分のストレスが発散できればそれでいいのですか?JTや喫煙者がタバコを美化する理由は,我々嫌煙家には到底理解のできないものばかりです.こうやって「愛煙家たち」は,自らのタバコに対する美学や一利一害論を煙に巻くのです.
「そんなに吸いたきゃゴミ袋でもかぶって吸えばいい」とエライ人は言いました.雑誌広告を痛烈に批判しながら,自らを愛煙家などと過大評価して正当化する喫煙者を強く軽蔑した風刺句(ジョルジュ・ビゴーもびっくり).
>こうやって「愛煙家たち」は,自らのタバコに対する美学や一利一害論を煙に巻くのです.
この一文に論理の飛躍があります。何故なら、其処までに語られたJTは「愛煙家たち」一般ではなく、また、「愛煙家たち」一般についてそれまで言及していないにも関わらず、「愛煙家たちは○○だから××」という結論に至っているからです。
人それぞれであるはずの人間をひとつの記号で括る思考は往々にして誤解を生じさせます。
近頃、煙草を吸う人たちが何故自らの健康を犯してまでそうしているのか理解できないという人によく遇います。しかし、本当に理解が出来ないのか、私には甚だ疑問です。
煙草は昨日今日に流行った麻薬とは違います。何百年も前から世界中の生活の中に存在したものです。それが社会の中でどう扱われ、どんな役割を果たしてきたか、考えが及ばない程難しい話ではありません。煙草が多かれ少なかれ依存症を引き起こす事も知らない人はいないでしょう。
それでも「理解ができない」という人は即ち「何も考えていない」のだと思います。
私は煙草の無い社会になったら素敵だと思いますし、その動きには賛成です。しかしそれが実現するのは少なくとも50年は先のことです。文化や価値観はそう簡単に変わるものではありません。その50年の間、異文化の人である喫煙者を理解しようとしない非喫煙者がいるとすれば、それはあまりにも愚かしい。
hal*さん,どうも!
このようなどうでもいいエントリーにはオーバースペックなくらい真面目なコメントをいただきまして,ちょっと恐縮しております.
>人それぞれであるはずの人間をひとつの記号で括る思考は
>往々にして誤解を生じさせます。
おっしゃることは分かりますが,この短いエントリーの中で「この人は愛煙家だけど,あの人は愛煙家とまではいかない喫煙者だ.」などと,人それぞれを個別にタイプ分けして論じることは僕にはできません.しかも「愛煙家と愛煙家とまでは言えない喫煙者」の区別だって,定量的に行えるものではないと思っています.
ですから僕はこのエントリーの中で,「タバコを製造販売する者,それからそのタバコを買って吸う者」をまとめて愛煙家としたのです.タバコが嫌なら吸わないわけですから,愛煙家と嫌煙家の区別は明確です.この定義をエントリー中に書かなかったのはまずかったと,今は反省しております.
それと,
>それでも「理解ができない」という人は即ち「何も考えていない」
>のだと思います。
という言及ですが,では昨今の世界的な禁煙ブームは「誰も何も考えずに」巻き起こっているのですか?みんながタバコについて考えて,現代社会における存在意義を理解しようとしたけど理解できなかった.だから禁煙が騒がれているのではないかと僕は思いますがいかがでしょうか?もちろん僕自身もこのエントリーを書くにあたってはいろいろ考えましたし,過去にもこのブログではタバコに関する話題を取り上げてきました.それを「何も考えていない」などと全否定されれば,そりゃーちょっとは反論したくもなります.こんな不真面目なエントリーを介して議論したい話題ではないですがねw.しかし不真面目なエントリーもある程度は真面目に書いており,その文章に責任は持っていますから.
タバコに限った話ではなく,「嫌なものは嫌だ」とはっきり表現しなければ,「○○に関して嫌だと思っている人は誰もいない」と判断されても文句は言えないのです.hal*さんがタバコのない社会になったら素敵だと思われるなら,あと50年は無理だとか,文化や価値観はそう簡単に変わるものではないとか言うべきではないと僕は思います.それこそ「じゃああなたの真意は一体何ですか?何も考えていないのでは?」と疑ってしまいます.
相手の意見をまずくみ取って理解しようと試みる.でも理解できないところが必ずある.そこを「理解できる者vs理解できない者」で話し合う.議論とはそうゆうものではないでしょうか.(ちなみに若干感情的な文体になっていますが,こちらは全く感情的にはなっていませんので,ご理解ください.逆に,議論できるコメントをいただいたことに感謝しているくらいです.)
う~ん、cozymaxさんがタバコを嫌う気持ちは分からなくもありませんが、何かの基準、ここでは自分と他人への健康への悪影響ですが、それに則って正当性が主張できる事をベースに必要以上に愛煙家全体を攻撃しているようにも見えます。
不快な思いがもしもタバコの煙から来ているとします。その不快感がその臭いの元を何とかこの社会から無くそうと、様々な理由付けがされていく傾向は人間誰しもあるでしょうし、自然な事です。
しかし、「嫌なもの」「不快に感じるもの」は人それぞれですが、ある一つのものに対してマジョリティが単に「不快だから」と言う理由で、それらを規制する法律をどんどん作るとしたら、何となく怖い気がします。
僕たちは、単に「嫌だと感じるもの」「不快に思うもの」との共存能力も必要だと思います。大事な事は「嫌だと感じるもの排除」に先立って「それらから自らを合理的に隔離する手段のアベイラビリティ」ではないかと言う気がします。これは喫煙者・非喫煙者に対するスペースや時間の割り当ての整備があるでしょう。
最後に、タバコの無い社会は、「愚行」を許容できない社会のような気がします。そう言う社会は好きになれません。
takaさん,どうも!
「フォト狂歌」でここまで議論が進むとは思っても見ませんでしたw.
>正当性が主張できる事をベースに必要以上に愛煙家全体を
>攻撃しているようにも見えます。
お察しの通りです.愛煙家全体を必要以上に攻撃してみましたw.ちなみにエントリー中から読み取っていただけたか分かりませんが,僕は「愛煙家」という言葉を皮肉たっぷりで使っています.その背景には「喫煙者=時代遅れ」という僕の考え方があります.まあ少なくとも「最先端」ではないでしょう.
マジョリティーがマイノリティーに勝るのが民主主義社会の宿命かと思いますが,おっしゃるように何でもかんでも法律で縛るのは僕も好きではありません.最後の一文にある「愚行を許容できない社会は好きになれない」というご意見にも賛成です.愚行,つまり時代遅れな喫煙という行為(と僕は勝手に解釈しましたw)を許せるくらいの社会でなければ,息苦しいのかもしれません.がぁしかし,無理矢理吸わされるタバコの煙,それから彼らの臭いも息苦しいのです.
もちろん世の中から自分が不快だと思うものがすべて無くなるとは思わないし,もしそうなったら不快の対極にある「心地よい」という感情も無くなると思うので,そんな社会は望んでもいません.だけど少なくともタバコは無くなるべきだと思っているし,昨今の社会がタバコを淘汰しようとする傾向にあるので嬉しく思っているところです.
>「それらから自らを合理的に隔離する手段のアベイラビリティ」
おっしゃる意味は十分理解したつもりですが,その上で揚げ足(?)を取らせてくださいw.「自らを」というところが納得いきませんでした.我々非喫煙者は喫煙者に遠慮する必要は全くないと思うからです.それはマジョリティーとかマイノリティーなどという問題ではなく,倫理的なものです.大事な商談の席で先方のエライ人が吸うタバコの煙に対しても「遠慮するな!」とはいいませんw.(というかその場合は遠慮するべきでしょう) しかし街角で見ず知らずの人が吸うタバコの煙に対しては,明らかに遠慮する必要はないと思います.もちろんそこが「非喫煙スペースだったら」の話ですけどね.
もうここまで書いたから思いっきり書きますがw,だいたいやねぇ(竹村健一 風で),喫煙者は往々にして「自分は何も周りに迷惑をかけていない」と思っているのが気にくわない.また「喫煙はカッコイイ行為だ」と思っていることも.スターバックスのようなお店がどんどん増えればいいと思っていますw.
たばこの煙による健康被害を被るのは、喫煙者だけでなく受動喫煙者であることを忘れないで欲しいです。
つまり、たばこの煙は不快なだけではなく、極端に言えば生きるか死ぬかを分けるものです。現代では人間は必ず死にますが、たばこにより寿命は格段に短くなることは事実でしょう。受動喫煙者は、喫煙者により寿命を短くさせられることは、有ってはならないことだと思います。
喫煙者は受動喫煙者に対して、どのような対応をしてくれますか?もし隔離されると思うのなら、どうしてその必要があるか、今一度良く考えて欲しいです。
かずんさん,どうも!
喫煙者は自ら納得の上で健康被害を得ていますが,受動喫煙者は喫煙者によって健康被害を与えられてる,いわば被害者ですね.僕も隔離されるべきは喫煙者のみであると思っています.受動喫煙者は普通に生活をしているだけなのですから.隔離される筋合いも理由も,全くないと思います.
cozymaxさん、お返事ありがとうございます。
早速。
「人それぞれであるはずの人間をひとつの記号で括る思考」のリスクと愚かしさを分かっていただけたのなら、議論の余地はありません。ですが拝見する限り私の申し上げたい所は分かって頂けていないようです。
私が今回問題としているのは、引用させて頂いた一文の「論理の飛躍」ということに尽きます。そしてその飛躍とは「人をひと括りに把握する論理」の事であり、それは誤解を生じるからよろしくない、と言うのです。ですから、「タバコを製造販売する者,それからそのタバコを買って吸う者」という括りの定義があったとしても、「販売をするものが○○だから販売をするものと買って吸うものは××だ」という論理はやはり飛躍しているのです。
話の内容としては全く別ですが、論理的に同じ構造の例えをするなら「ブッシュの考えが間違っているからアメリカ人は間違っている」とか「ブッシュが駄目だから資本主義が駄目」とか「民主主義が悪だから日本人も悪」というような論理です。ブッシュの行う政治の責任は無論、それぞれのアメリカ国民が少しずつ負うていますが、政治責任の全てを国民個人に問えるわけではありません。日本国民は等しく小泉さんの中東政策に責任を負うていますが、イラク支援に行く日本人と首相である日本人を人括りに考えれば、日本国内のデモや支援という側面を見落とす可能性があります。
繰り返しますが、話としては全く別の話です。しかし、論理の構造が同じであり、(経験的に)その論理はやはり「見落とし」を生み「誤解」を生んでいるのではないか。というのが私の意見です。
前回コメントの、後半部分は、どのような「誤解」「見落とし」があるのか、その可能性を私の視点から大雑把に示したものです。長文にはできないという思いから、元々の考え方が大きく異なる方に向けては伝達力の低いものとなってしまいました。今回も詳しくは書けそうにありませんのでそれはまた別の機会に。
ひとつだけ説明するなら、煙草の無い社会が50年先でなければならないと思う理由は、行政が本格的に煙草撤廃の方向へ転換してからまだ10年程で、それ以前の日本に生まれた人が死ぬのにはあと50年は掛かるからです。
今煙草を吸っている人達の多くは子供の頃から煙草の広告にさらされ、駅構内での副流煙で香りを覚え、テレビスターが煙草を吸い、煙草カラーのF1マシンが走るのを見せられて育った世代です。そういう社会に育つことを強いられた子供とその社会を良しとしていた大人の責任、現状と将来の環境を変えようとする時の社会人の責任、これらを個別に考えることは難しいことでしょうか。
喫煙者全てを今すぐ排除しますか。それとも、喫煙者全てに皮肉を言いますか。それは本当に良く考えた上での解決策ですか。
私もタバコは嫌いですね。どうも耐えられない気がする
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