「ざっくばらん」という日本語を振り返ることなんて人生の中で何度も無いと思うので,そんな機会に巡り会った数日前の出来事を書き留めておきたいと思います.
彼は新しくできた某所にタコスを食べに行きました.そのタコスはトマト入り.これは注文する前から分かっていたことです.ところが彼はトマトが嫌いなのです.でもタコスが食べたい一心で,トマト入りタコスを注文したのでした.
僕はその場に居なかったため,帰ってきた彼に「タコスどうだった?」と尋ねました.すると「まあまあだった」とひと言.次にトマトの事が気になり,「トマトはどうだった?」と尋ねました.すると彼はこう答えたのです.
ざっくばらんだった
と.
その場に居合わせた知人曰く,ざく切り(さいのめ切り)のトマトが入っていたのだそうですが,これを「ざっくばらんだった」と何の曇りもなく言い放った彼は,潔くもあり,何だか神々しくも思えました.ちなみにお気づきかもしれませんが,「トマトはどうだった?」という僕の問いかけに対する適切な答えは,その後彼から返ってくることはありませんでした.
日常生活の中で自分の口から「ざっくばらん」という言葉が出ることはまず無いし,他人が「ざっくばらん」と言っているのを聞く機会も滅多に無いというのに,奇跡的に聞いた「ざっくばらん」がこのような使われ方だったことは,嬉しくもあり悲しくもあったのでした.
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