21日午後4時ごろ、新潟県柏崎市中田の北陸自動車道下り線で、同県見附市学校町、自動車修理業板谷辰次さん(88)の軽乗用車が追い越し車線を逆走。走行してきた同県阿賀野市駒林、運送業大滝秀明さん(46)の5人乗り乗用車と正面衝突した。
事故現場となった北陸自動車道は高専時代に良く通ったので,今でも西山-柏崎インターチェンジ間がどんなところか覚えています.身近に感じたニュースだったし,思うところがあったので取り上げました.
いきなり話がそれますが・・・.
痴呆症患者の運転
この前テレビを見ていたら,痴呆症の症状が出ている人の運転技術について,特集が組まれていたんです.そのような人の運転は,ハンドル操作が遅れたり,アクセル操作が不安定だったりと,明らかに危険なものでした.また道をすぐに忘れてしまうため,なかなか目的地にたどり着けないのだそうです.
実際に事故を起こしてしまったご老人(痴呆症の症状あり)と,そのご家族も出演されていました.家族としては今すぐにでもおじいちゃんに運転をやめてもらいたいのだけど,おじいちゃん本人としては「車を失ったら生活ができない」の一点張り.しかも自分は無事故無違反の優良ドライバーを何十年間も続けてきたということから,運転技術に自信を持っており,今回の事故だって相手が悪いのであって,自分のせいではないと言い張っていました.しかし今回の事故はおじいちゃんの信号無視によるものでした.信号無視をして交差点に入ったところ,横から来た車とぶつかったのだそうです.つまりおじいちゃんに過失があります.しかしおじいちゃんは痴呆症なので,この事故の事を覚えていません.つまりこの事故を反省することなく車に乗り続け,むしろ「なぜ自分が運転をやめるようにいわれなきゃならないんだ!」と”逆ギレ”する始末でした.
現在の法律では,医師も警察も痴呆症の人から運転免許証を取り上げることはできなく,痴呆症の人の運転をやめさせるには,本人に運転免許証を返納させるしかないのだそうです.きっと免許の更新だって,意外と簡単にできちゃうんでしょうね.かなり問題アリだと思いますが・・・.
僕も車を運転しますが,クラクションを鳴らしても無反応な高齢者ドライバーをたまに見かけます.きっと耳が遠くてクラクションが聞こえていないんでしょう.または注意力が散漫になっているのかも.免許取り立ての若者の運転も危ないですが,高齢者の運転だって明らかに危険です.うちのじいちゃんも80歳をとっくに越えていますが,まだ運転してるんですよねぇ.
今回の事故について
で,だいぶ話がそれましたが,このニュース.事故を起こしてお亡くなりになった板谷さんもかなりのご高齢です.板谷さんに痴呆症の症状があったかどうかなんてわかりませんが,別に痴呆症の症状が無くたって,80歳を過ぎたら車の運転は自粛するべきではないかと思うわけです.近所の畑まで軽トラを運転するとかならまだしも,見附から柏崎なんていう長距離を運転するのはどうでしょうか(板谷さんが事故当日,見附から事故現場まで一気に来たのかはわかりませんが).
板谷さんがお亡くなりになられたことは残念ですが,大滝さんご家族とそのご友人が全員無事であったことは不幸中の幸いでしょう.個人的には,この事故の”その後”が知りたいです.特に,板谷さんが逆走してしまった理由には興味があります.
最後に,板谷さんのご冥福をお祈りして,この文章を終えます.
例によって、つっこみでぇ~す(笑)
痴呆症はこれからは「認知障害」と言う呼び方をするらしいです。何でも、地方と言う言葉は侮蔑的だとかで…くっだらねぇ、と思ってしまいます。差別が最初にあったからその言葉が差別用語になっただけなのに、言葉を変えれば差別がなくなるとでも思っているのでしょうか。「痴呆」「馬鹿」「阿呆」と言う言葉が使えなくなったら、ブッシュをどう表現すればいいのですか?(Just Kidding)
痴呆の症状があるかどうかは家族であろうと素人判断に任せてはいけないと思います。医療機関が「痴呆でぇ~す」と「お墨付き」を与えれば、その人から免許証のみならず、財産処分権等、様々な権利を奪い取る事も可能でしょう。80歳になったら、とか言う基準は年齢による差別を助長することになると思いませんか?(50になると途端に再就職が難しくなることを実感しつつある今日この頃です)
理想的には毎回運転する前に運転席で自動的に身体能力、精神状態を含めた運転適性検査をすれば、このような事故のみならず、運転すると性格が変わる人や飲酒運転もなくなると思いますが、そこまでするのは非現実的です。それは、コストがかかり過ぎるから。つまり、人命よりも高いお金がかかるから。だから、ある程度の人命は「見込まれた損失」なんですよね。でも「緩い管理」って人間的でもあると思うのです。そのリスクを受け入れることによって、僕達はそれなりの「自由」を手にしている気がするのです。
1年間に痴呆の人が運転する事により死傷者と、飲酒運転、無謀運転による死傷者の数を比べてみれば、cozymaxさんの心配も少しはバランスが取れるのではないでしょうか。安心はしないと思いますが、安心できる社会じゃないのですよ、この世は。
takaさん,コメントありがとうございました.
takaさんwrote:
痴呆症はこれからは「認知障害」と言う呼び方をするらしいです。
この手の言葉の定義って,なんかホントにくだらないですよね.変わるのは表面的な事ばかり(おっ!五七五になってる/笑).
takaさんwrote:
医療機関が「痴呆でぇ~す」と「お墨付き」を与えれば、その人から免許証のみならず、財産処分権等、様々な権利を奪い取る事も可能でしょう。
財産処分権は分かりませんが,少なくとも僕が見た番組では,医師が「痴呆でぇ~す」とお墨付きを与えても,医師や警察が”その人”から運転免許証を奪い取ることはできないという説明がありました.以下のような記事が掲載されてあるサイトも見つけました.
『 「痴呆」と診断されていたにも関わらず、運転免許の取消し又は停止の申請を行わないだけで、処罰の対象となることはありません。しかし、万が一事故などを引き起こしてしまった場合、申請していなかったことが問われることがあります。』
(http://www.e-65.net/care/care05/4_5_3.htmlより)
takaさんwrote:
80歳になったら、とか言う基準は年齢による差別を助長することになると思いませんか?
ん~・・・ここは年齢でバサッと切って良い気がします.例えばお酒.日本の法律では20歳未満の飲酒は禁じられています.しかし未成年でもがっしりした体格の人はたくさんいますし,逆に成人でもお酒が飲めない人はいますしね.未成年者の飲酒は,それによって脳の機能へ悪影響を及ぼすとかなんとか言って禁止されているわけですが,そんなの個人差があるはずです.でも20歳という年齢でバサッと切っているのは,要するにめんどくさいからだと思うんです.1人1人を調べていたら大変ですし,それにやり方によっては不公平がでますから.
運転免許も同じだと思うんです.同じ80歳でも健康的な人とそうでない人がいます.しかし全体的に見れば,運動能力や認知能力など,すべてにおいて機能が低下しているはずです.「この人は良いけど,この人はダメ」と判断するなら,ちゃんと納得できる方法でしっかりやる必要がありますが,これは面倒です.だからこのような区分ができないのなら,ある一定の年齢で切ってしまって良いと思うんです.
1年間に痴呆の人が運転する事により発生する死傷者と,飲酒運転や無謀運転による死傷者の数は単純に比べても意味がないでしょうね.絶対数が違いますから.
冷たい言い方になりますが,痴呆症の方が車を運転して自損事故を起こすのは別に良いんです.自分でケガをするだけですから.しかし恐いのは,それに巻き込まれる可能性です.家族の立場になれば,人身事故を起こした際の償いです.これが恐い.明らかに事故を起こす可能性が高いのだから,強制的に免許を剥奪できるくらいの権限を,医師と警察に与えても良いのではないかと思います.
年齢で線を引くやり方はいろいろな所に使われていますが、それまで持っていた権利を時間と共に、つまり一定年齢で「剥奪」するのは余り聞いたことがありません。つまり、選挙権や働く権利も体力、精神力が衰えた人が多い、と言うだけで剥奪できないのと似ています。
僕が痴呆による事故死とそれ以外の事故死を比べて欲しいと思ったのは、地方による事故を現在の半分にするコストと労力と、そしてcozymaxさんが言われるような年齢制限による既得権、あるいは基本的個人の自由意志の尊重を奪う代償を払うに値するのかと言う事です。それよりもそれ以外の事故死を半分にすることの方がずっと費用対効果が高く、個人の自由裁量権も侵されないのでは無いでしょうか、と言う事です。その意味で絶対数は意味のある事だと思っています。
スパッと年齢で良い・悪いを決める事に慣れていけば、人は「疑う事」「考える事」を嫌がるようになる気がします。それはそれで幸せなのかもしれませんが…
takaさん,コメントありがとうございました.
takaさんwrote:
それまで持っていた権利を時間と共に、つまり一定年齢で「剥奪」するのは余り聞いたことがありません。つまり、選挙権や働く権利も体力、精神力が衰えた人が多い、と言うだけで剥奪できないのと似ています。
選挙権は年齢で剥奪することはないですね.ただし老衰とか,それこそ痴呆症にでもなって,思考がはっきりしないような人からは選挙権を剥奪するべきとは思いますが.これは0歳児に選挙権が無いのと同じ理由で,政党や各立候補者の公約などをかみ砕いて理解し,投票に至るという一連の行為ができないためです.そんな1票は,1票として認めるべきではないでしょう.
しかし働く権利は「定年退職」という制度があります(最近なくなりつつありますけど).これは,ある一定の年齢で線が引かれている場合が多いでしょう.例えば65歳で定年退職なら,「65歳以上は体力的にも精神的にも”戦力外”だから退職してもらおう」というような意味があるんだと思います.もちろん元気な65歳もいるのに,有無を言わさず年齢でバサッと切ってしまっています.
直接「死」に繋がる可能性が高い車の運転で,例え運転者が痴呆症患者であっても,誰も強制的に免許の剥奪ができないという法律(?)は,やはりおかしいと思います.「80歳以上」などと年齢で線を引くのができないのなら,せめて明らかに運転に支障をきたすような病気を発症している方だけでも,免許剥奪の対象にして欲しいと思うわけです.もしくは「”そうゆう人”が運転しています」というマークを車両に付けて欲しいです.そうすればこちら側が少しくらいは自己防衛できますから.
痴呆症の人による事故発生数と,そうでない人の事故発生数は,そりゃー後者の方が多いでしょう.だけど後者の事故はあくまでも事故ですが,前者の事故というのは事故といえるでしょうか?酒を飲んで泥酔状態で車を運転し,その結果車をどこかにぶつけた場合と似ています.「不慮の出来事」だから事故っていうと思うんですよね(だから「不慮の事故」という言葉はおかしいと思ってます).痴呆症の人や泥酔者が車を運転したら事故る,ということは,始めから予想できます.それは事故ではなく,故意の行為であり,もしそれで人が死んだら,それは交通事故ではなく殺人だと思います.
先にも書いたとおり,本来ならば1人1人に対して「あなたは大丈夫だけどあなたはダメ」などと1年に1回くらい審査するべきでしょう.しかしこれはとても大変で,コストがかかって,非現実的とも言えます.だから年齢で線を引く.これはとても現実的です.
同じくらいの運動能力や体力を持つ80歳のご老人がいたとしても,自分の運転技術や運動能力の衰えをしっかり自覚している人は事故なんて起こさないような,それなりの運転をすると思うんです.若者でも同じですが,自信過剰な人ほど事故を起こすんだと思います.けど「自信過剰度チェック」を1人1人に,しかも公正な判断のもとで実施することなんてできませんよね.きっと.だから厄介な問題だと思うんです.
で,こうゆうことをグダグダ言っていても永久に何も決まらない.じゃあどうするか.今まで通り野放しにしておくか,それとも年齢でズバっと線を引くか.最終的にはそこに行き着くと思います.多数決をとったら,やはり野放し派が多いでしょうけどねぇ・・・.
痴呆が確定し診断書があれば、禁治産者に指定することも出来るので、免許を停止する事は理解できるし、そうすべきだと思います。ただ、「正しい判断」が何であるかが現実に定義できない以上、だれが正しく判断できるかを判定する事は危険かもしれません。選挙だって、「正しく判断する人」が投票しているのか不思議な気もします。
「事故」と「殺人」は法的に言葉が変わるのですが、結果として誰かが被害者になる点では同じかと思います。又、原因と結果のリンクが構築できない痴呆の方と、ほぼ未必の故意と言える飲酒運転を同レベルで論じるのにはやや抵抗があります。
限られた資源と時間を使う際、運転者が痴呆であるか、あるいは不適正な精神状態であるかどうかを判定し、その人から運転の権利を奪うより、酒を飲んで乗る人を半分減らす方がはるかに効果的だと思うのです。「痴呆老人による事故死」と言うニュースはセンセーショナルな響きがあり、それが実際に起こしている危害を他の交通犯罪に比べて著しく誇張してしまう傾向があります。そういう事から統計的数字を見て考えることも大事だと思います。
年齢による線引きは、そうする事が、それにより失われる事よりずっと大きな社会的利益をもたらすと明確に納得できる場合のみ行なわれるべきで、「考えるのが面倒だから」と言う理由で行なってはならないと思うのです。
それと「定年制」は人が働く権利を奪うものではないし、そうなってはならないものです。現実は「働く権利」を奪っているようですが、だからと言ってそれが正しくは無いと考えます。
takaさん,コメントありがとうございました.
takaさんwrote:
「正しい判断」が何であるかが現実に定義できない以上、だれが正しく判断できるかを判定する事は危険かもしれません。
これは仰るとおりです.だから僕は年齢で線を引いたらいいんじゃないのか?と提案しているわけです.逆にtakaさんは解決策としてどのような案を提案しますか?
takaさんwrote:
「事故」と「殺人」は法的に言葉が変わるのですが、結果として誰かが被害者になる点では同じかと思います。
ちょっと付け加えると,現行の法律では法定速度30km/hの路地を60km/hで走行し,人身事故を起こし,相手を死亡させた場合は,殺人罪で起訴される場合もあります.これはつまり,不慮ではないからです.痴呆症患者や泥酔者の運転による事故だって,それは不慮ではないでしょう.
takaさんwrote:
限られた資源と時間を使う際、運転者が痴呆であるか、あるいは不適正な精神状態であるかどうかを判定し、その人から運転の権利を奪うより、酒を飲んで乗る人を半分減らす方がはるかに効果的だと思うのです。
そうかもしれませんが,元を辿ればこのエントリーでは「痴呆症の症状が出ている人が車を運転する事について」を議論していますから,飲酒運転者による事故の事っていうのは,また別問題だと思います(そうゆう意味では,僕も飲酒運転者の事を例に挙げたのはよくなかったです・・・).
年齢による線引きは,何も考えるのが面倒だから,という理由ではないですよ.1つ1つを細かく見ていったら何も決まりません.スーパーフリーのエントリーで,「法律っていうのはある程度の幅をもたせて,いろんな事件に適応できるように作られている.だからすべての事件に的確に対応していない」とtakaさんも書いていたじゃないですか.危険な運転をする10代の若者と,安全運転の高齢者は居て当然です.しかし総合的に見たときはどうか?という話に,結局なりませんか?
takaさんwrote:
それと「定年制」は人が働く権利を奪うものではないし、そうなってはならないものです。
しかし実際のところは働く権利を奪っています.定年退職をして「明日からも働きたいんですが・・・」と,働く意欲を訴えたところで「いいよ」とはならないでしょう(重役クラスは天下りでなんとでもなるでしょうけど.これも問題ですね).もし「いいよ」となるなら,定年制度自体,意味のないものになってしまいますから.どうしても働きたい人は,定年退職者を雇用している会社に再就職するケースも増えています.これについては僕も賛成です.これが叶わないなら,それこそ「働く権利」を奪っていることになりますから.
takaさんが仰るように,きっとこのやりとりにはキリが無いでしょう(笑).意見が食い違って当然だし,議論することに意味があると思うんですが,ダラダラと,まるで「朝まで生テレビ」のように,「長く議論したけど,結局内容と結論が無いじゃん!」みたいな感じにはしたくないんです.もしよろしければ,もう一度takaさんからコメントをください.それで今回は終了とさせてください.続きはまた,蒲田の飲み屋あたりでやりましょう(笑).
上記コメントの訂正です.
そうかもしれませんが,元を辿ればこのエントリーでは「痴呆症の症状が出ている人が車を運転する事について」を議論していますから,
という部分は,
そうかもしれませんが,元を辿ればこのエントリーでは「痴呆症の症状が出ている人や,高齢者の方が車を運転する事について」を議論していますから,
に変更したいと思います.
1)完全に解決する事を目指すのは無理かと思います。不完全な世の中をある程度受け入れること、つまり、痴呆かもしれない人が車を運転する可能性が極めて小さいけれどもあると言う事を受け入れることが大事かと思います。その可能性の大きさを正しく判断することが前提ですけど。
2)痴呆の方を診断により、運転を禁止する手順は適切ですが、問題は年齢による制限だと思います。年齢と言うのはその人の肉体的、精神的状況とは独立に進行します。可能性として身体能力が衰えるという事だけだったら、更新を短い期間にする、更新時の試験に視力、反射神経のチェックを加える事で解決できると思いますが、これは通常の人にも適用すべき事かもしれません。(日本の更新システムは良く分かりませんが、カリフォルニアでは15年目の更新には筆記試験と視力検査があります)
3)働く権利が問題なのは年齢と言う属性だけで仕事を与えないと言うことであり、能力が無い、体力が無い、と言う条件で仕事が持てないのは別問題だと思います。定年制の一つの問題点は、能力の無い人間が定年まで居座る事でもあります。働く権利は自分の能力と整合する職業に関しては公正な選抜システムがあるべきです。
痴呆であると言う事と年齢がXX歳を超えていると言う基準は別個のものとして考えるべきだと思うわけです。
ではでは、このへんでぇ~
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