論文博士制度が廃止され,今後は課程博士に一本化されるそうです.オリジナルソースは文章が不明瞭で,14日からこの方針が施行されたのか,14日までに方針が決まっただけなのか(この場合施行はまだ先)よく分からないんですが,とにかく近いうちに「博士と言ったら課程博士」になるようです.僕からすれば,論文博士の方がいろんな意味で「使える博士」だと思うんですが,今後は「すぐには使えない」課程博士だけが日本国内に”はびこる”ことになります.
この制度改変で,論文博士を目指していた人が影響を受けるのは明らかですね.研究所や企業に属しながらの課程博士取得は,いくら短期カリキュラムを設けたとしても難しいでしょう.特に最近は,博士号を取得させるためだけに社員を大学へ通わせるだけの力と余裕を持った企業って少ないと思いますから,状況はかなり厳しいんじゃないでしょうか.
今回の制度改変に関しては,論文博士について「学位のため研究を狭い分野に限定してしまう恐れがある」「日本独自の制度で国際的な通用性に欠ける」などの批判があったそうですが,僕は上記2つの批判を逆に批判したいです.だって学位のための研究って,お世辞にも「広い分野をカバーする」とはいえないし,既存の論文博士は十分に国際的な通用性を備えていますから.ノーベル賞の田中さんだって課程博士ではありませんしね.だから結局,これらの批判は表向きに後付けされたものにすぎないんだと思うんです.
じゃあ本当の制度改変の理由は何か?
それは国立大学法人化に伴い,各大学が研究成果だけでなく教育内容も評価の対象となった事にあるんだと思います.これは決して大学だけの問題ではなく,国としての問題です.所定のカリキュラムを受けた者でなければ博士の学位を取得できないようにすることで国と大学が談合し,大学院進学率をアップさせて学内の活性化を図ることと,博士の量産化を図ることが狙いではないかと思います.就職もないのに.北海道大学が良い例でしょう.なんていうか・・・博士ってそうゆうもんじゃないと思うんだけどなぁ・・・.よく分かりませんが.
論文だけで博士、駄目 大学院重視で一致
中央教育審議会の大学院部会は14日までに、企業や公的な研究所で業績を挙げた社会人が、論文などの審査を基に博士の学位を得る「論文博士」制度を廃止し、大学院のカリキュラム修了者を対象に与える「課程博士」制度に一本化する方向で一致した。
論文博士については「学位のため研究を狭い分野に限定してしまう恐れがある」「日本独自の制度で国際的な通用性に欠ける」などの批判があった。
文部科学省は論文博士を認めている省令を改正、博士号取得を目指す社会人に対しては大学院に短期間在学する「博士課程短期在学コース」の創設なども検討している。
「論博廃止」,
なんか,くやしいです.
「論文博士制度」廃止の目的は、ずばり言って独法化した大学院の授業料稼ぎだと思います。独法化した大学には理事が必要だし、これらの理事は文科省を中心とした官僚にとってはおいしい天下り先となるはずです。
中央教育審議会で挙げられた「論文博士制度」の廃止理由は、すべて全くナンセンスか、逆に「論文博士制度」の必要理由になりそうなことばかりで、彼らの真意が別のところ、すなわち前述の授業料にあることはミエミエだと思います。審議会のメンバーの質、またそのような審議委員を誰が選択したかも問題です。
「論文博士制度」というのは、確かに諸外国では聞いたことがありません。しかし他国にそのような制度があるかないかが問題ではなく、そのような制度そのものが、良いか良くないかで判断すべきです。
「論文博士の研究内容は、領域が狭い」という理由も挙げられていましたが、学位取得だけが目的の多くの課程博士の研究内容こそ、領域の狭いものが多く、実社会では通用しないことが多いです。その証拠にオーバードクターが増えています。一方、論文博士は、仮に領域が狭くても、企業の必要に応じて行なっているわけであり、実社会のニーヅにミートしています。研究者にとって必要なのは、指導者ではなくて、本人の資質なのです。本人の資質さえ優秀であれば、どこにいても学位論文は書けるし、逆にその道を閉ざすことは、大変な罪悪です。
実社会のニーヅにミートしない領域の狭い研究も国家としては必要であり、そのような観点から「課程博士制度」も必要だと思っています。以上
伊達さん,どうも!
興味深いコメントありがとうございました.
このエントリーを書いてからだいぶ日が経っているので,エントリーにない事も以下に書きますw.僕が思うに,伊達さんがおっしゃる「お金」というのはあくまでも付属品であって,まず第一にあるのはやっぱり「人稼ぎ」だと思うんです.ここ最近は有名な国立大の大学院でも定員割れしているか,それに近い状態に陥っているところが結構あります.今後は少子化の波を受けて更に定員割れの危険性は高まるでしょう.そうなれば募集人数枠を削られる(削る)でしょうから,結果的にその大学院の学生は少なくなり,大学に入るお金も減ります.ひどい場合は大学院や,その専攻自体が消滅する可能性もありますしね.そうなれば,特に地方の小さな大学はピンチです.故にいろんな意味で”ミエミエ”の政策をとったのだと考えます.
論文博士のくだりに関しては,ほとんど完全に同感です.「論文博士の研究内容は領域が狭い」という中央教育審議会の指摘に対する僕の考えは,エントリー内で批判している通りです.
伊達さんが書いてくださった以下の記述には強く共感しました.
>研究者にとって必要なのは、指導者ではなくて、本人の資質
>なのです。本人の資質さえ優秀であれば、どこにいても学位
>論文は書けるし、逆にその道を閉ざすことは、大変な罪悪です。
研究者(というかこれから研究者になろうとしているドクターの学生)にとっては,もちろん指導者は絶対に必要なのですが,本人の気質があれば,どこにいようが指導者(アドバイザー)に的確な相談を持ちかけることができるのだと思います.
先にコメントをくださったカズさんという方は,どうやら論文博士を目指している方のようなのです.僕はカズさんとは面識がありませんが,論文博士制度の廃止について悔しがっているところを見ると,「その道を閉ざされた者」に当てはまるのではないかと推測しています.カズさんが非常に優秀でやる気のある方であればあるほど,「その道を閉ざすこと」の罪は重くなっていくのだと感じました.
>実社会のニーヅにミートしない領域の狭い研究も国家としては
>必要であり、そのような観点から「課程博士制度」も必要だと
>思っています。
おっしゃるとおりだと思います.しかしこのような研究が,少なくとも日本国内では年々やりづらくなっているのが現状だと思います.僕はむしろ実社会のニーズにミートしない研究が今の日本には必要だと思っているんですが.目先の欲にばかりとらわれて基礎を疎かにし続ければ,あと数年後には「二兎追う者は一兎をも得ず」になっているんじゃないかなぁと思います.
伊達さんのご意見に賛成します。また、今回は中教審の答申結果であって、文科省が決定したわけではないと思います。事実、この件に関して文科省では、ホームページで意見を募集しています。どれくらいかはわからないけど一定期間の後、省令等で決まるものと思います。そういったわけで、みなさん、文科省に意見を投稿してはいかがでしょうか。
kajikiさん,どうも!
先ほど初めて文科省のwebsiteへ行ってきましたw.中央教育審議会がとりまとめた「新時代の大学院教育」の中間報告は87ページもあるのでまだ読んでいませんが,近いうちに拾い読みしてみたいと思いました.意見の提出期限は6月27日の18時だそうですね.間に合えば意見も提出してみたいと思いました.情報どうもありがとうございました!
私は何十年か前にほとんどお金をかけることなく論文で博士号を取得したので、今回の件には関係ないのですが、向学心に燃えた若者から、授業料という名の大金(約100万円×3年間)を巻き上げようという官僚の態度が許せないのです。
もし本当に「授業料が付属品で、学生集めが主目的」であるならば、社会人枠の学生には全面的に授業料を減免することも可能ですが、多分そのようなことは考えられていないでしょう。あくまでも授業料稼ぎが、今回の主目的です。もし、社会人枠の学生に対し、大きく授業料を減免するならば、私は今回の答申に反対ではあるが、危機感を持つほどは反対しません。
今回の中央教育審議会の答申は、「審議会の答申であって、文部省の結論ではない」というのは事実ですが、役所のこのような審議会や委員会というのは、役所の言いなりになる人、あるいは役所と同意見の人たちを委員に任命して、行なわれるのです。ですから審議会や委員会などというのは、単なるセレモニーに過ぎず、結論は初めから決まっているのです。今回の議論をしたメンバーは、研究とは関係ないと思われる実業家1名、後は大学や研究機関の人達だったと思いますが、いずれも研究実績があるといえるような研究者ではありませんでした。
私は一応、この審議会と小泉総理あてには、今回の答申に関する抗議メールを発信しました。あまり効果は期待していないけれど、一応意思表示だけはするべきだと思いましたので。若い人たちの御健闘を期待しています。
伊達さん,どうも!
再びご丁寧なコメントをいただき,ありがとうございました.
伊達さんが今回の主目的を「授業料稼ぎ」であると考える理由がよく分かりました.議論を面白くするため(でもないのですがw)に,何とか伊達さんのご意見に反論しようといろいろ考えましたが,今のところ気の利いた反論は考えついていません.それどころか仰るとおりだと思ってしまいましたw.論文博士制度の廃止が,ある種「出来レース」である旨も納得です.
社会人枠で大学院にくる人は,自費で来る人が多いのか,それとも所属先の会社のお金で来る人が多いのか分かりませんが,少なくとも”普通の学生”よりは金銭面で余裕があると思います.”普通の学生”である僕から言わせれば,社会人枠の学生の授業料を減免する暇があったら,”普通の学生”の授業料を減免してもらいたいです.しかしそのどちらも,実現する可能性は低いのでしょうね.
ちょっと話がそれますが,ついでなので書かせてください.
この前テレビで「お金持ちしか大学へ行けない時代がくる!」というような内容の番組を見ました.年収300万円時代が到来しつつあるこの世の中で,小学生の頃から子供を塾へ通わせなければならない.これは中・高・大学の入試問題に,塾に行っていなければ解けないような問題が出るからだそうです.もちろん塾の授業料の他,学校の授業料も払わねばなりません.大学へ入ったら入ったで,またいろいろとお金がかかる.私立ならなおさらです.これはつまり,貧乏人は大学へ行けない(進学できない)と言っているようなものだ,と,その番組は締めくくっていました.だけどそれを見て,決して大げさな話ではないと思いました.論文博士制度の廃止と同様に,いろんな意味で「芽を摘む」ような社会になりつつあるのかもしれないと感じている今日この頃です.
長くなりましたが,最後に・・・.
伊達さんのウェブサイトでプロフィールやお姿等拝見しました.詳しいお仕事の内容は分かりませんが,楽しんで人生を送られているようでとても羨ましく思いました.と同時に,自分もそうなりたいと強く思いました.それは,伊達さんのように研究者として生きていったり,海外で活躍したりすることが僕の目標だからです.
「社会人は、普通の大学院生より金回りが良い」というのは、事実だと思います。現実は、それ程良くないけれど。しかし「論文博士制度廃止」という逆方向の改革は現在打ち出された問題であり、その主旨に反対するための一つの論法として、「お金が目的で論文博士を廃止するのでなければ、社会人枠の学生の授業料を減免できるの?」というだけの問いかけなのです。「社会人からは授業料をとらず、普通の学生からとる」という意見では決してありません。
大学院の普通の学生の学費・身分・就職の保証などといった問題は、「論文博士制度廃止」とは別個にやはり真剣に討議される必要があると思います。因みに何十年も前の私の学生時代、既に「大学院進学は裕福な家庭の子弟のみが可能」という状況でした。しかし皆が皆、裕福な家庭の子弟ばかりではないので、中央教育審議会は、このような問題(学費・身分・就職)を議論すべきだとは思いませんか?何で「論文博士制度」という何の不都合も見られないことを論議する必要があるのでしょうか?
伊達さん,どうも!
>「社会人からは授業料をとらず、普通の学生からとる」という
>意見では決してありません。
この辺りの伊達さんのご意見は理解しているつもりです.ただちょっと僕のコメントが(話が)逸脱してしまったため,逆に誤解を生んでしまったと今は思っています.すいませんでした.
>中央教育審議会は、このような問題(学費・身分・就職)を議論
>すべきだとは思いませんか?何で「論文博士制度」という何の
>不都合も見られないことを論議する必要があるのでしょうか?
全く仰るとおりです.何百万円というお金を費やして博士号を取得しても,就職先がないというこの状況は異常です.しかし博士の就職口を増やすのはこのご時世,現実的ではないと思っています.博士の価値が下がっている要因の一つには,「誰でもお金さえ出せば博士号が取得できてしまう」というような風潮があると思うのです.つまり博士の価値を上げる行為が今の日本にはまず必要なのではないでしょうか.
このためには博士課程の学生になる時点で審査を厳しくし,研究計画書などを書かせて学生を選りすぐる等の工夫が考えられます.博士課程の学生の頭数が減れば,金銭的な補助もしやすくなるだろうし,身分だって今よりは保たれると思います.もちろん就職だって・・・.もしくは「来る者拒まず」の精神で広く学生を受け入れておいて,その後で,優れた学生に対しては経済的な補助をしてやる方法も考えられると思います.前者は大学側にとっては収入が減りますから,後者の方が現実的でしょうかw.
このような補助はCOEが当たった一部の大学や研究室ではすでに行われていることかもしれません.だけどCOEが当たらなくても良い研究をやっているところはたくさんあるわけで・・・.COEなんかに頼らずとも,文科省のもっとベーシックな部分で,博士課程の学生の身分や経済面の保証がもっとあるべきだと思っています.
もう一回だけ、私見をカキコさせてください。
私は、年齢を経るにつれて官僚のやり方が信用できなくなってきたのです。彼らは、授業料稼ぎ、すなわち金稼ぎのためなら、博士の粗製乱造など何とも思っていないのではないか、と考えています。終戦直後の大学で、博士課程を有する大学は、国立も私立もごく一部でした。最近は、700校前後と言われる日本の大学の中で、博士課程を有さない大学を探すのが難しいほどです。「科学や技術の進歩に対応するため」という大義名分は立派ですが、700校のほとんどすべてで博士を養成する必要が本当にあるのでしょうか。「大学院大学構想」と称する物が発生し、それに伴って全国津々浦々にいたるまで博士課程が開設されてきたのですが、これはまさに少子化問題が議論され始めた時とほぼ一致するのではないでしょうか。
私はあなたのおっしゃるように、民間や研究機関などのすべてにおけるニーヅに見合うように、博士課程への進学を難しくした上で大学院生を優遇すべきだとおもいます。しかるに現状は、課程博士の就職先がなく、オーバードクターが溢れているというではないですか。これこそまさに課程博士を粗製乱造した結果ではないでしょうか。ですから、本来ならば課程博士を減らして、論文博士の誕生を増やす方向で考えるべきだと思うのですが、何故か文科省の考えることは逆なんですよね。
伊達さん,どうも!
今や博士課程を有する大学は本当に多いです.自分が在籍する大学も小さなところなので,あまり人のことは言えないかもしれませんが,聞いたことのない私立大でも博士課程があったりするので驚くことも珍しくありません.
訳の分からない大学が各地に作られ,少子化が騒がれている今もなお増えつつある背景には,地元の有力者のエゴも関わっていると思っています.田舎に大学を作れば若い人を確保できるというのもあるようですが,それよりも地元の有力者が自分たちの地位やカネを得るために,そこの教授や理事なんかに就任したいという方が,田舎に大学を作る主な理由ではないでしょうか(だって少子化なんだし).大学院を設置し,博士を量産すれば自分の大学に箔がつく.日本の科学技術云々とか,論文博士がどうとかっていうのは,あくまでも”たてまえ”にすぎず,結局はカネなのかなぁ,という気がします.
論文博士制度の廃止は,国が金儲けをするための策ですが,巡り巡って地方の有力者にもカネを与える結果となっていると思うのです.一般に地方にカネが降りれば,そこからカネが回り,経済が発展すると言われます.しかしこの場合はそう簡単にはいかないでしょう.なぜなら少子化なんだから.”金づる”である子供の絶対数が減っているのだから,カネなど回るはずがありません.むしろ中途半端な”大学生という身分の人間”が増え,中途半端な”博士という身分の人間”が増えるだけでしょう.これは負の遺産です.
あと数年後には,全国の大学の総定員数よりも受験者数の方が下回るそうです.つまり試験なしで入学できてしまうことになります.「入り口を広くして出口を狭くする」という意味では,僕はむしろ良いように捉えているのですが,出口が狭くなるわけがありません(入学を楽にして,卒業に関する試験などを厳しくすると言う意味です).入り口も広い.出口も広い.そうゆう経験をしてきた学部生が,ゆくゆくは博士の学位を取得する.普通に考えたら,そんな博士は使い物にならないし,そんな博士を抱える日本という国は,科学技術の面で後進国になるでしょう.こう考えていくと,日本の科学技術を支える博士は論文博士から生まれるようにも思えてくるのです.それなのに論文博士制度が廃止されようとしている.全く持って理解不能です.伊達さんの言葉を借りるなら,文科省の考えることは逆なんですね.いや,それか,文科省の考えることは我々と同じなのかもしれませんが,やっていることが逆なのかもしれません.言っていることとやっていることが違う,っていう・・・.何か逆の事をやらざるを得ない理由でもあるのでしょうかね.彼らの真意を教えてほしいと思うのです.
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