Nov 12, 2005

捕鯨問題で一国が理不尽な否定をされかねない件

日本の食文化と鯨の関係は長く深いものであり,過去を振り返れば鯨が日本人を救った時代もありました.当時を知る者は今でも鯨肉をありがたがりますが,実際のところ現在ではありがたがられるほどの希少価値を持つ数少ない食材へとその姿を変えています.ちなみに僕はあまり(というか全然)好きではありません.だから反捕鯨国の言い分には個人的感情としては特に反論する部分はないのです.しかし日本人としてなら,いくつか言いたいことも出てきます.

現代における捕鯨は,国際的観点からすると非難され,軽蔑され,何をやっているのだと激しく罵られる行為とされていますが,反捕鯨国が捕鯨国にいちいち指図することができるほどすばらしいかといえば,それは大いに疑問なのです.特に英国なんていうのはフィッシュ&チップスしかないのだから,奥ゆかしく伝統的な日本食文化を否定する事などそもそもできないのです.鯨は,その種類にもよりますが決して絶滅寸前の動物ではありません.牛や豚を殺して食用にするのと同じように鯨というほ乳類を捕らえ食用にすることは,決して野蛮な行為ではないし特に議論が必要な話題でもありません.単なる食文化の違いが根底にあるだけで他国の食文化をけなすことがまかり通るなら(フィッシュ&チップスしかないくせに),韓国人がたとえ食用であっても犬を食べていることの方がずっと議論に値する事柄だと思うのです.しかしそれだって,韓国人にとっては自国の食文化の歴史からすれば特に問題視する必要はないと判断されることで,それは当たり前の判断だと僕も思うわけです.

日本は捕らえた鯨をほとんど余すところなく利用します.食べられる部分はすべて食用にまわし,ヒゲなどの部分は工芸品に利用されます.これはアラスカのエスキモーも同じで,彼らもやはり鯨を非常に大事に取り扱います.もちろん乱獲などせず,昔ながらの方法で,時には自分が命を落とすかもしれないほどの死闘を鯨相手に繰り広げながら捕獲するのです.彼らにとって鯨が捕れないということは死活問題に関わるため,日本とはまた違った意味で捕鯨がなされています.もしこのような捕鯨に対してもバカな制裁が下されるなら,食文化だけでなく,ある民族・人種の生活における伝統や文化まで,全く関係のない他国がその国の文化を常識の基準として指図するということになります.日本も決して例外ではなく,例えば英国が英国の常識や考え方をあたかも世界の基準のように掲げ,それをもって日本の文化を指図するということになります.かつて英国は世界中に領土をもっていました.しかし大英帝国のそれはとっくの昔に終焉を迎えています.彼らが過去の栄光を再び手に入れたいのかどうかは知りませんが,捕鯨問題は英国が考えているよりもずっと複雑なプロセスを経て形成されているのだということを,彼らは知るべきだと思いました.とにかくフィッシュ&チップス以上のクオリティを持った英国食文化の早期形成を期待したいと思います.

英国が日本の捕鯨を非難-「科学的根拠ない」

英国の環境・食糧・農村省は11日、日本鯨類研究所が南極海で実施する調査捕鯨について「この殺りくには何ら科学的根拠がなく、日本は(捕鯨に反対する)国際世論を無視している」と非難する声明を発表した。

フィッシュ&チップスのフィッシュ(魚)を捕ることは”殺りく”でなく,鯨を捕ることに”殺りく”という言葉が適用される根拠は一体何なのでしょうか.日本にはイルカを食べる文化もありますが,英国にしてみれば,イルカを捕ることもきっと”殺りく”なのでしょう.しかしそれは英国の常識(反捕鯨国の常識)をもってしての意見でしかなく,日本における伝統の中では決して野蛮な行為ではないのです.何が野蛮で何が野蛮でないかは時々刻々と変化するでしょうが,少なくとも鯨を捕ることが今の世の中において野蛮とされる理由が僕には分かりませんし,よく分からない論理で他国に日本の文化をどうこう言われる理由も分からないのです.そもそも「鯨を捕っちゃだめだよ.かわいそうだから」みたいなアホな論理に基づいた外国のコメントを受けて「はい,わかりました」と日本が言えるはずがありません.なぜなら,その返答は過去2000年あまりに及ぶ日本の歴史を否定しながら,且つ終止符を打つ行為と同じであり,”それをいっちゃーおしめぇーよ”だからなのです.

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