日本の研究者の多くは税金により研究活動を続けていると言って過言でないのに,その税金の使われ方が一般の人にとっては全く不透明である場合が多い,というのは納得できます.とりわけ自然科学の分野では,研究成果が直接世のため人のためになることは極めて少ないため,理解されにくいでしょう.例えば,地球温暖化で世界中の海氷が融け始めている,ということは結構知られていますが,ではなぜ海氷が融けたらまずいのか,というところまで知っている人は意外に少ないものです.海水準が上昇して海抜の低い国が水没してしまうから,とか,シロクマの住処がなくなるから,とか,もちろんそういった理由もありますが,それというのは表面的な話であって,実はもっと重要な問題が隠されているのです.だからここまで問題視されているのです.先に「理解されにくいでしょう」と書きましたが,本当は「理解されるよう説明努力をすべきでしょう」なはずです.しかしそれが行われていないのは,今の日本の研究者にそこまで時間的余裕がないことと,税金を使って仕事をしているという意識がない(低い)ことが挙げられるはずです.
コラム「研究者は税金を使っているという意識があるのか?!」は,非常に同調できる内容で,よくぞ言ってくれたという感じです.だからこそ,上記のような理由を背景にして読み,改めて考えてみると,日本の研究者に税金を使っているという意識が薄いと思われるのは,日本の研究者を取り巻く現在の酷い現状が一番の原因であるように感じられます.一般の人からすると,このことは単なる言い訳にしか聞こえないかもしれません.でも現在の研究環境は明らかに酷いし,このままでは日本が研究分野で後進国になるのも時間の問題であることは明らかです.「論文さえ書けばそれでいい」というのは,研究者個人の考え方というより日本政府の考え方と言えます.研究者個人は政府の方針に従わなければ研究者としてやっていけないから,「論文さえかけばそれでいい」という考え方にならざるを得ないのです.
日本政府が取り決めた論文重視主義は,その研究者の人間性を全く見ないため,論文さえたくさん持っていれば,教育ができない人や社会性・社交性に激しく劣る人でも大学の教授になれるのです.植草氏が犯行後,再びある大学に迎え入れられたのは良い例です.しかしそこに待っているのは,教育機関としての大学の崩壊です.このことは優秀な学生の芽を摘むことに繋がりかねません.学生も論文主義の犠牲者になるわけです.そしてこの負の連鎖は延々続きます.はっきり言って,本当にくだらないと思います.
研究者は税金を使っているという意識があるのか?!
国会を通過した平成19年度国家予算約83兆円に対して、科学技術振興費1兆3,678億円は、全体の1.6%を占めている。しかし83兆円には借金も含まれているため、借金を差し引いた歳入として考えると約57兆円となり、そうすると科学技術振興費が占める割合は2.4%となる。つまり我が国の勉強にかける予算は、収入の2.4%ということになり、仮に年収500万円のサラリーマンの場合、2.4%というのは12万円にあたる。毎月1万円払って勉強している状況を思い浮かべた時、そこになにかしら目に見える成果を期待するのは私だけだろうか。
科学技術振興費という名の税金を払っているのは国民である。では研究の成果によって目に見える恩恵を国民が享受できているか。我々の生活が豊かになって、今の状況に満足しているか。満足しているのは、予算を獲得できた研究者本人のみではないか。
研究者の予算獲得時における説明ロジック及び心の声は恐らくこうだ。「この技術は、○○に使えます(私はそこまでやる気はありませんが)。なので、もしこの技術を使った製品が市場に出れば、国民生活が豊かになります(どこかの誰かが製品化すればですが。少なくとも私はやりません。私は論文が書ければそれで良いのです。なぜなら、私は論文で評価されているわけですから)。」その結果、例えば医療の世界で、研究現場と臨床現場を結ぶ「橋渡し研究」という不思議な研究領域が生まれる。
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