『技術経営には2種類の発想が考えられる.1つは技術ありきの「帰納的発想」.もう1つはお客さんありきの「演繹的発想」.松下にあって日立にないもの.それは「演繹的発想」である』(link)
興味深いコラムなのであっという間に読んでしまいました.技術を売り物にする分野においては帰納的発想が不可欠ですが,そればかりを追求していたのではお客さんのニーズとズレた製品ができあがる可能性が高くなるため,お金儲けをしなければならない企業としては成り立ちません.しかしこのことについて,僕は「企業としては」というところが大きなポイントであり,決して『日本から「帰納的発想」が消えてなくなればいいというのではない』ということをちゃんと区別して理解しなければならないと思ったのでした.日本におけるすべての人が目先の利益を追い求め,売れる商品に必要な技術だけを開発し,無駄を省くようになってしまってはダメで,基礎研究をしっかりやるという「帰納的発想」は常に日本のどこかに存在しなければならないのだと思います.
これまでそれができたのは国の研究機関や国立大学でした.しかし最近はそういった機関までが特許だのベンチャーだのと「これを開発したら何に使える?」とか「これを造ったらいくら儲かる?」という短絡的思考しかできなくなっています.これはものすごく危険なことだと思います.基礎研究が軽視され,応用ばかりに手を染める.「本来必要であるはずの無駄な部分」が「本当に無駄な部分」として扱われている.こんなことでは近い将来「外国にあって日本にないもの」として「帰納的発想」が挙げられ,「だから日本はダメなのだ」と世界から批判されるようになってしまうかもしれません.SONYあたりがすでに良い例を作ってくれていると思うのですがどうでしょうか.彼らの凄まじい転落ぶりは「帰納的発想」を軽視しすぎた事に起因してはいないでしょうか.
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